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てこの原理のように小さなチカラを大きなチカラに変え、

『社会の常識、ここ変じゃない?』を変革する。

常識を変革するためには、小さなチカラを大きなちからに変換する必要です。

小さなチカラを大きなチカラに変換できない原因は、

社会で勝手に常識と決められた「しがらみ」です。

そのしがらみに「おかしくね?」とテコ入れするしていきます。

小さい力で、社会を変える大きな力を一緒に育てていくメディアです。

「男のくせに」「女々しい」は差別用語?共通の敵はホモソーシャルだ!

「女々しい」「女の腐ったようなやつだ」「嫉妬は女偏」

「男らしい」「男のくせに」「男性的」

日本語には、このように性差別的な表現がまだまだ残っています。

たかが言葉ですが、されど言葉です。

パートナーの男性が「おい」「お前」「それ」などのモノ扱いするような表現をするようになってから、身体的な暴力に及ぶまでの時間はそうかからないそうです。(参考文献)

つまり、これらの乱暴な言葉とDV(家庭内暴力)には相関関係があると言われています。そして、言葉は思考を規定し、思考は行動に移されます。行動は社会を形作ります。

要するに、こういった小さな芽もジェンダーレスな社会の実現を遠のけているのです。

このことから、まず私たちは言葉という次元からこのジェンダー問題と向き合っていくべき局面に立たされているのではないでしょうか。

そして、今回、その悪の権化とも言える概念について、沖中さん(後に説明あり)と対談しました。

本記事で登場する社会学用語
  • ホモソーシャル
  • ジェンダーロール
  • フェミニン
  • 予言の自己成就

ーーー共通の敵はホモソーシャルだ。

目次

ホモソーシャルとは

ホモソーシャルとは、恋愛や性を含まない同性同士の結びつきのことを指す概念です。また、男同士の仲間意識を高めようという空気のような意味合いでも使われます。

もともとはギリシャ語の接頭語homo-が語源で、意味は「同一の」とか「似通った」という意味です。語源の本来の意味に同性愛的な意味はありません。

このホモソーシャルという言葉をイヴ・セジウィックという文学者が『男同士の絆 イギリス文学とホモソーシャルな欲望』という本の中で使い始めたことで一気に広がりました。

しかし、このホモソーシャルという言葉、女性同士のコミュニティという意味ではあまり使われません。男性同士のコミュニティのなかで主に使われる言葉です。

それは、なぜなのでしょうか。

ホモソーシャルな世界で女性は男性のお供え物

男同士の値打ちはなにで決まるでしょうか?それは、男同士の覇権争いの結果によって決まります。男性の評価は同性の男性からの羨望の数によって決まります。

この称賛の声には、女性の声は反映されません。なぜなら、女性の価値は、男性によって「選ばれる」ことで決まるからです。

つまり、ホモソーシャルの世界では、女性は常に男性のお供え物という位置づけです。このように、ホモソーシャルの概念は、男性中心的かつ女性や同性愛者を追い出すことで成り立っています。

非常に概念的なので、図式化します。

  • 男が認める男(ホモソーシャルの覇者)
  • 男が認める女(ホモソーシャルの中のトロフィーのような女)
  • 女が認める男(ホモソーシャルの中で認められる男と一致しない)
  • 女が認める女(ホモソーシャルの中で認められる女と一致しない)

このような概念が昨今話題になっているホモソーシャルです。

もう少し詳しく知りたいと思った人は、上野千鶴子先生の「ニッポンのミソジニー」をお読みになってください。

この概念を巡って、沖中さんと対談しました。

両者の簡単なプロフィール

沖中優麻さん

歪んだ家庭環境と偏差値40の学校環境への反抗心から下剋上を目指し、阪大文学部に入学。日本学専修でフェミニズムや在日外国人などを学ぶ。女子校出身の経験からジェンダーに強い関心がある。春から4年生だが、進路に絶賛悩み中。

佐々木瞭

怠惰で無気力なニートを経験してから読書の面白さに気づき没頭、その経験を活かしAO入試で立命館大学文学部に入学。文学部で社会学を学ぶ。専門はドラマツルギー/ポストモダン。「僕のヒーローアカデミア」とドライブが好き。座右の銘は「人生は根無し草」

対談〜男女差別的な校則〜

沖中さん

このホモソーシャルの話を受けて、私は中高一貫の女子校生活の中で、ウチ(女子校)では男性性も要求されるくせに、ソト(社会)では女性性を強調させるんかい!って矛盾を感じるときがありました。

そして、今思えばどう振る舞えばいいのかわからないって困惑する場面もありました。

佐々木

へぇ、具体的にどんなことがありましたか?

沖中さん

ウチでは、文化祭や体育祭などでは男子もいないので、力仕事をさせられますが、ソトに見える部分では足を閉じろだったり、カバンのチャックは常に閉めろみたいな要求がありました。

あと、別の女子校に通う私の友人もかなりのこういった教育を受けていたみたいで、私よりもひどくて、、、クシャミしたら『失礼しました』と言わなきゃいけなかったり、その姿形が下品であるという理由から、ペットボトルで飲むことを禁止されていたそうです。

それでコップつきの水筒で水分補給をさせられたり、歪んだ男性観をもつ女性教員がいたため、男性を敵対視するような教育を受けてたり

佐々木

やば・・・

沖中さん

あと、私がバイトしている銭湯での出来事なんですが、接客の際に銭湯のスタッフ全員に、白のマスクの着用を求められました。

白である理由には、『フェミニンな印象を与えるために』と添えられていたことに驚きました

佐々木

フェミニンな印象(笑

沖中さん

そもそもフェミニンの言葉の使い方も間違ってるし、マスクの着用を性差で分けるっておかしいですよね。まだまだジェンダーへの関心が低いなぁって、私の身近なとろこで感じてしまった例です

佐々木

そうですね。

これだけジェンダーへの関心が叫ばれているけど、まだ深層的な理解には及んでいないんじゃないかな。

たとえば、字面の意味では看護婦とか女優とかの言葉を避けるけど、その本質的な意味まで理解できていなかったりしますよね。だから、端々でこのような表現が出る。ただ『言っちゃだめらしいから』程度の認識なんですよ

可愛いって言うのはセクハラ?

沖中さん

そうですね。言葉を変えても、本質的に差別や偏見を認識するには至ってないというか。あと、最近読んだ、noteで面白い記事がありました。この記事なんですが

佐々木

かわいいひとに”かわいい”って言うのはセクハラなんだ(笑)

沖中さん

みんなの前でそう言われたら否定しなきゃいけないじゃないですか。それって一種のハラスメントですよねって。

佐々木

あぁ〜なるほど。

これもある意味では、ジェンダーロール(性的役割)の強要ですね。社会では女性を演じなければならないシーンが創出させられるというか

沖中さん

そうですよね。かわいいって褒め言葉のようでいて、かなりセクシャルな発言だよな〜と思ったんです

なんか褒め言葉ならいいじゃんみたいな甘えを感じますね(笑)

沖中さん

まだまだ根強く残ってますよね。

佐々木

ジェンダーロール(性的役割)を強いられる社会構造ってまだ残ってますよね。

たとえば、部活動ひとつとっても、男はスポーツ系の部活に入って目立たなきゃいけないみたいな同調あるし、マネージャーは女の子の仕事みたいな風潮もあります

沖中さん

女子校出身なので経験はしてませんが、あるかもしれないですね。

佐々木

少女漫画なんか見ると顕著なんですよ。

女の子のヒロインは、サポート的な役割に喜びを感じるものなんだみたいな描かれ方してますし。逆に少年漫画は、一難去ってまた一難的な感じで次から次に強い敵が登場する。

これがそのままジェンダーロールの強要につながってます。こういう漫画やドラマによって培われた価値観を前提に、『男なんだから、女の子なんだから』という押しつけをしてきます。

女性が文系に多いのは社会がそう思いこんでるから?

沖中さん

そういう固定観念はたしかにあるかもしれませんね。そのジェンダーロールが文系理系への分岐をつくっている気がします。

リケジョってわざわざ言うくらいですもんね。

沖中さん

そもそも頭のよさに性差はなくて、女性であっても男性同様の機会と環境が提供されれば、理系はもっと増えるんじゃないかなって思っています。

佐々木

先入観から勝手に理系って選択肢を閉ざして未来をひとつ潰している例ってありそうですよね。

でいうと、そもそも男性はロジカルで、女性は感情的って脳科学は、優位さはあるものの顕著な差異がないことが認められています。つまり、女性には理系が不向きっていうのは完全な神話です。

けど、予言の自己成就もあるの一概にはいえないけど

沖中さん

予言の自己成就?

佐々木

予言の自己成就とは、女性は理系が苦手って思い込みが、女性から理系科目を遠ざける結果、本当に女性は理系科目が苦手になってしまう、という社会学の概念です。

つまり、再帰的に女性が文系になるってことはありえます

佐々木

普段、そんなに意識しないけど、あらためて考えてみると、日頃からぼくらはジェンダーロールにさらされてることがわかります。それは日常の何気ない一言に表れています。そしてそのような思い込みは、ホモソーシャルが規定しているんじゃないか、って話でした

沖中さん

ホモソーシャルを感じづらい社会にはなっているけど、まだまだ根強く残ってるということですね

佐々木

男性は”こうであれ”を強要されるし、女性は”こうだよね”を同調される社会なんですよね。変えてくためには、一個一個顕在化させていくしかないんじゃないかと思っています

まとめ

このように、日常の中にもホモソーシャルの考えに端を発した性差別は根付いています。そして、それはもはや無意識のうちに自明化されています。こうした、性差別を一個一個取り出して議論していかなければ、永久に女性差別はなくならないのではないかと考えられます。

”かわいい” ひとつとっても、性差を強く意識せざるをえない環境が整えられてしまっています。

このような性的役割を強く意識させられる社会では、男女のグループの中で女性が男性に先んじてリーダーに立候補しづらい空気感が醸成されたり、能力の高い女性があえてサポート役に回ってしまったりします。

しかし、その一方で一億総活躍社会と呼ばれ女性の社会進出がこれまで以上に強く求められています。こうした社会の実現に一番遅れをとっている諸悪の根源がこのホモソーシャルなのではないかと考えます。

こうした二律背反は、沖中さんが女子校のウチとソトで求められるものが違うという違和感と同じものが社会全体で起こってるのではないでしょうか。

こうした違和感がクリアになった社会で、人が人として性別という固定観念に縛れれることなく、のびのび働ける社会が実現するその日を願っています。

問題提起〜職場や学校で蔓延る女性差別発言について〜

最後は問題提起をして本稿を締めます。みなさんはどのように感じますか?

「社内で美人に美人と言ったら裏でブスにネチネチ言われた。これだから、フェミは困る(笑)」

以前、上場企業で人事部長をされている方にお会いしてお話しました。そのときに聞いた実際の発言です。この発言からも日本社会ではまだまだホモソーシャルが根強く息づいていることがうかがえます。

この手の発言がユーモアとして発言している人事部長の人格的問題があるかもしれません。しかし、それ以上にこれがユーモアとして機能する社会こそに問題があると私は強く思います。

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