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てこの原理のように小さなチカラを大きなチカラに変え、

『社会の常識、ここ変じゃない?』を変革する。

常識を変革するためには、小さなチカラを大きなちからに変換する必要です。

小さなチカラを大きなチカラに変換できない原因は、

社会で勝手に常識と決められた「しがらみ」です。

そのしがらみに「おかしくね?」とテコ入れするしていきます。

小さい力で、社会を変える大きな力を一緒に育てていくメディアです。

先生!板書って写さなきゃダメですか?板書の必要性について考えてみた。

先生の板書をノートに写す作業は、学生ならだれでも経験したことがあると思いますが、これって本当に必要なのでしょうか?

僕は学生時代、とても板書を写すのが苦手でした。なぜならその作業をしていると、そちらに気を取られてしまい、その間に先生がなにを言ったのかを忘れてしまうからです。

そもそも板書に書いてあることは、ほとんど教科書に書いてあります。

そのため、黒板に書いてある【文字】よりも先生が喋っている【音】の方が僕にとっては重要だったのですが、なぜか「ちゃんとノート取れよ!」と指摘されてきました。

僕みたいな経験をした人は、非常に多いのではないでしょうか?

学生だった当時は、先生の言うことを信じ、「写さないといけない」と思っていましたが、いま考えてみると本当にムダな行為だったなと思います。

今回は、教師が板書の書き写しを強制すべきでない理由をここに記していきます。

目次

人によって得意な部分が違う。

その理由として1つあげられるのが、「認知特性」です。

簡単に説明すると、「1つの情報を見たときにどこで情報を処理する傾向があるのか」というやつです。

いわば、情報を取得するときに”あなたが強みとしているところ”ですが、これは人によって異なります。(自分の傾向を知っていると今後の勉強などに役に立つので、ぜひ測ってみてください。)

認知特性は、大きく分けて3種類あります。

認知特性
  • 「見た情報」を処理するのが得意な人 →視覚優位者
  • 「読んだ情報」を処理するのが得意な人→言語優位者
  • 「聞いた情報」を処理するのが得意な人→聴覚優位者

この認知特性に合わせて勉強方法を変えると、成績が飛躍的にアップするんですよね。

たとえば、僕は聴覚優位者なので、英語学習に音読とリスニングを取り入れたところ、飛躍的に点数がアップしました。 しかし、言語優位者の人が同じ方法を取り入れたとしても同じことは起きません。

つまり、それぞれ情報処理の得意不得意が異なるのに、同じ勉強方法を用いていても必ずしもそれは良い結果をもたらさないということです。

さて、「板書を写す」という行為は、同じ勉強方法を生徒に強いるということです。

一部の人のみしかその効果を得ることができないのに、本当に同様の行為を促すべきなのでしょうか?

いろんな方法で板書を写しても良い。

では、ノートを取るのが必要がないかと言われたらそうではありません。

また板書とは、授業の中で重要なポイントを抽出する作業なので、それを写すという行為が本人にとって重要な人もいるでしょう。

しかし、画一化された方法を強制すべきではありません。

たとえば、先ほどの認知特性に合わせて

  • 録音
  • カメラ
  • 図式化

など、ノートのみに限らず、さまざまな方法を用いることを許可するべきです。

また、板書は移さなくても先生が喋ったことのみを書くのでも良いでしょう。

「授業中のノートの取り方」について聞くと、勉強が得意な生徒の52.0%が「板書の内容を書きながら、先生の話も気になったらメモする」ことを習慣的に行っていることが判明。これは、勉強が苦手な生徒における同項目(37.9%)の、1.4倍に相当する。

https://straightpress.jp/20150701/89453

コクヨの調査によると、”勉強が得意な生徒は気になったこともメモする習慣がある”ことが分かっています。

「じゃあ板書は必要なんだね。」と思ったあなた、そうではありません。

この結果は、「板書が必要である」ということではなく、「勉強が得意な生徒は自発性や意欲がある」ということを表しています。

強制は自発性や意欲をそぐ行為です。

生徒の自主性、自発性を育てるためにも板書方法はアドバイスに留め、強制をやめましょう。

板書は姿勢を判断するものではない

さて、このような状況の中で、なぜ「板書をきちんと取れ!」という教師がいるのでしょうか?

それは、「生徒の成績ではなく、生徒からの態度」に彼らの関心が向いているからです。

つまり、その子の心配をしているのではなく、自分がどのような評価を受けているかというところに注意が向いているということです。

社会人になっても「ちゃんとメモを取れ」といってくる人がいますが、そもそもこれ時系列がおかしいんですよね。

その子のためを思い、向きあいたいのであれば本来は以下のような手順を踏むべきです。

  1. その子の成績が悪い。
  2. 原因は、授業内容を噛み砕けていないから?
  3. どのような板書をとっているんだろう?
  4. その子に最適な板書の取り方はなにか?
  5. アドバイスをしよう。

板書は姿勢を評価するものではないし、そもそも姿勢の指標はあなたが好きかどうかで決まっており、自分に矢印がむいている感情的な物差しです。

まとめ

まとめると以下のようになります

  1. 板書は強制すべきではない
  2. その理由の1つに認知特性がある。
  3. 認知特性を考慮しその子に合った勉強方法を提案すべき。
  4. 板書は必要な時もあるが、強制すると自発性や意欲を削ぐ。
  5. 板書を強制する人の関心は、生徒ではなく自分に向いている。

以上から、板書は取るか取らないかは自分で決めるべきで、他人からアドバイスはもらっても、強制されるものではないと考えます。

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この記事を書いた人

27歳です。

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